内閣法制局はいりません。もちろん、長官もいりません。
どうも、小沢氏や民主党の言う「内閣法制局長官の国会答弁禁止」が、誤解されています。
センセーショナルにあおるマスゴミあり、「これは官僚批判の名を借りて、憲法の解釈を変えてしまおうという思惑では」 という憲法学者あり、ブロガーありというふうですが、物事は正確に知る必要がありますよね。そして、誤解があれば解消する必要があります。
ということで、昨日も、書きましたが、きょうも引き続き「内閣法制局」について書くことにしました。
で、まず、誤解の発端となったのは、こちらのような内容のニュースと思われます。同じことを言っても表現によっては、誤解されたり理解されたりするもので、平野官房長官は、誤解を招きやすい方だとは思います。
平野博文官房長官は4日の記者会見で、鳩山政権が、政府の憲法解釈を国会で示してきた内閣法制局長官の過去の答弁にしばられないとの見解を示した。憲法 9条などの解釈は、今後内閣が政治判断で行う考えも表明。鳩山由紀夫首相は同日夜、記者団に「法制局長官の考え方を金科玉条にするのはおかしい」と述べ た。
歴代政権は、内閣法制局の了解がなければ、事実上、憲法解釈の変更には踏み込まなかった。今回の発言は、憲法解釈も政治主導で行う原則を示したとみられるが、時の政権の都合で憲法解釈が安易に変更される恐れもある。
平野氏は会見で「これまでの法制局長官の憲法解釈には内閣はしばられないのか」と問われ「もちろんそういうことだ」「政治主導だから、政治判断で解釈していく」と述べた。
集団的自衛権の行使を違憲とするこれまでの政府解釈については「現時点では過去に解釈されたことを踏襲する」と述べた。一方で「踏襲はするが、無 条件で内閣はしばられないということか」と問われると、「もちろん」と答えた。解釈変更の可能性については「世界情勢が大きく変わったときにはその時点で 判断する」と述べた。
集団的自衛権については首相も2日の衆院予算委員会で「当面、解釈を変えるつもりはない」と述べ、「当面」との留保をつけている。
首相は4日夜、記者団に対し、「(憲法解釈を)変えるためには極めて慎重じゃなきゃいけない。変えるためには当然、国民的な世論というものもしっかり見定める必要もあると思う」とも述べた。(金子桂一)
まず、こことかここで、内閣法制局について書いたので、ぜひ読んでいただければと思います。
何か法案を国会へ上程しようとすると、その法案が憲法にそっているか憲法上どう解釈されるかということが吟味されてからになりますが、今までの自公政権下では、法の作成は各省庁、吟味は内閣法制局とすべて官僚まかせでした。
内閣法制局というのは、各省庁から上がってきた法案を法案としてふさわしい文章になっているかなどチェックする機関です。もちろん、ここで、憲法に合致しているかどうかもチェックされます。ま、官僚が作った法案を官僚がチェックするということで、官僚に都合のいい憲法解釈が行われ、法案が完成されていくわけですね。
小泉政権時代に、次から次へと、国民切り捨てや負担増(定率減税廃止、住民税増税、障害者自立支援法、後期高齢者医療制度、裁判員制度等々)が成立しましたが、このような法案を次々と成立させることになったのは、小泉政権が官僚の言いなりになったからにほかなりません。
もとより、自公議員に法案作成能力はなく、法案作成を支える国会の法制局も貧弱ときていて法を作成する体制もない状態ですから、法案作成審査はすべて官僚に依存していましたが、この小泉政権に至っては、郵政民営化衆院解散総選挙で、郵政民営化反対の立場を貫いた老練な自民党議員を刺客にて追い落とすという愚挙をしでかし、かわりに小泉チルドレンという政治のイロハもわからぬ素人83人を衆院に迎え、3分の2の議席を占めたわけで、こんなジミントウ衆愚員を相手にした、官僚さまは、次から次へと悪法を楽々と通したわけですよ。郵政民営化法案(竹中平蔵氏+ゴールドマンサックス作か?)以外は、すべてが、各省庁の官僚さまが作成した悪法であると私は確信しています。
小泉政権下で、国民は、約2.7兆円の負担増となりました。製造業にも派遣を認めましたから、1000万人ものワーキングプアが発生しました。今は、仕事すらない失業者があふれる社会となりました。自殺者は、毎年3万人以上に上ります。国民にこのような辛苦を味あわせている法案は、人の権利を侵害する憲法違反としか思われませんが、内閣法制局で、審査を受けて、可決成立しているという事実を見てください。各省庁が省益のみ追求して、国民から収奪を行ったものです。
「行政局長官答弁の禁止」を「これは官僚批判の名を借りて、憲法の解釈を変えてしまおうという思惑では」 と、不安をしきりにあおっている人々がいますが、私たち国民は、内閣行政局が審査し成立した法で苦しめられているのです。この人たちは、行政府でありながら立法行為をしていて実際に国民に辛苦を味あわせている人であるにもかかわらず、身分は公務員ですから私たちには辞めさせることができません。もちろん選挙で落とせるわけでもありません。しかし、このように悪政を行っているのが政権なら、選挙によって、落選させることができます。小泉政権後、次々と政権放り投げ世襲首相が現れ、最後はしつこく解散しない粘着タイプが居座っていましたが、ついに選挙で、国民は、自公政権を降して、民主党政権を誕生させました。しかし、行政府が立法を行う体制はそのまま残っているのです。
そこで、小沢氏は、当面「内閣法制局長官の答弁禁止」とし、ゆくゆくは、「内閣法制局」自体を廃止する方向で考えているのです。
これって、ごく、当然なことではないでしょうか?
内閣法制局というのは、端的に言えば、「官僚の官僚による官僚のための政治」を行うためにある機関です。そんなものはいりません。
国会法を改正して内閣法制局長官の国会答弁を封じるは、当たり前ですね。
「内閣法制局は「法の番人」とも呼ばれる。法理を駆使して、ときの政府の意向をかなえる知恵袋の役を果たす一方で、例えば海外での武力行使をめぐって「憲法9条の下ではできない」との見解を守り続け、憲法解釈に一定の歯止めをかけてきた。」なんてことを書いてある記事もありましたが、小泉政権下で、イラク特措法は、戦闘地域ではないかとの論議のある地区に陸上部隊を派遣しましたし、テロ対策特別措置法は、海上自衛隊がインド洋(公海)に派遣され、護衛艦(イージス艦)によるレーダー支援や、補給艦による米海軍艦艇などへの給油等の後方支援が行われ、事実上、集団的自衛権は行使されました。
小泉政権が、いち早く米国の戦争方針に賛成したという面はありますが、もとより、官僚は米軍を利用した国民支配を行っていますから、渡りに船と感じたのかもしれません。そして、これらの法は、もちろん、官僚が作成し、内閣法制局が審査したということになります。
まぁ、法作成とか審査とかを行政官に丸投げというか奪われたままというのが、今までの自公政権ですね。このまま、官僚にまかせっきりでいくと、戦前官僚が暴走して日本国民を泥沼の戦争に引きずり込んだと同じことが起きる可能性は大きいでしょう。外務省は、米軍と「核密約」をして国民に秘匿していたのですよ。
このように今までどおりに、官僚に法案作りを任せておくのか、それとも、私たちが選んだ政治家に任せるのか、どっちがいいですか?官僚が法案作りをするのなら、私たちが政治家を選ぶ意味などないですが。
さらに、小沢氏は、もっと、先のことを考えていますね。米軍が日本から撤退したときの時のことです。
その時をみすえて、憲法9条は見直しますか?そのままにしますか?それは、私たち国民が考えて決めることですよ、とおっしゃっているのですよ。小沢氏が、9条を改憲しようだなんて考えているのではないのです。改憲するも改憲しないも私たち国民の意思ですよということです。
私は、小沢氏や民主党の言うように、「内閣法制局」はあってはいけないものだから廃止するのが、当然と考えますし、廃止されるまでは「内閣法制局長官の国会答弁禁止」措置がとられるのは、もちろん、当然だと考えます。| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (1)




ブログ運営ご苦労様です。
「事業仕分け」の件で、問題提起をされていましたので、また、少しお邪魔します。
マスコミや国民には、「事業仕分け」の賛辞が渦巻いているようすが、私も少し疑問を呈したいと思います。多くの人たちから袋叩きにあいそうな気もしますし、「KY」かもしれませんが、少し皆で冷静に考えてみましょうということで。
始めは、手続きとプロセスの問題です。
そもそも閣僚や政務官以外の立法府の議員がどういう立場や権限で内閣(行政府)の仕事をしているのか、きちんと考えてほしいと思います。
この国は、法治国家であるはずです。「予算の作成と国会への提出権」は「内閣の専権事項」であるし、国会法では原則「議員の兼任の禁止」をうたっていま す。内閣法では閣僚や政務官の定数も規定されています。しかし、事業仕分け行為の法律上の妥当性や解釈を明らかにしてくれる報道を一向に聞きません。
事業仕分け議員の内閣での立場、権限付与の手続き・プロセス等が極めて曖昧です。
立法府の議員をパートタイム的に行政府の予算作成作業に参加させているのか、それとも立法府の議員を正式に「内閣」の構成員に任命しているのか、もしそうなら法的に両院の議決が必要にならないのかといったような点に、マスコミや有識者からまったく疑義がおきません。
そんな中途半端な立場に1年生議員を任用しようとした行政刷新会議側の本質的・法的問題は無視して、それを辞めさせたといわれる小沢氏のバッシングだけが報じられます。
加えて、民間の仕分け人の人選基準や立場や権限も曖昧です。
しかしマスコミも多くの国民も、ひたすら「邪魔するな。やれ。やれ。」の大合唱です。
どうもこの国は、マスコミも、有識者も、国民も、行政運営の筋道とか道理を軽視する傾向があり、それどころか逆に、筋道や道理を尽くそうとする者 を疎んだり、非難しようとする傾向があるようです。権力や権限の行使には、謙虚さと筋道と道理が必要です。ましてや法の遵守は最低限の必要条件です。
しかし「やるな」とは言っていません。どうしても必要ならば、国会や内閣・行政組織の権能、閣僚や政務官の定数や議員の兼務規定等の現法整備を見 直した上で、該当する国会法や内閣法や国家行政組織法などの改正をし、誰からも疑義を問われない堂々とした組織体制と人選で「事業仕分け」に取り組めばよ いと考えます。
次に、事業仕分けの本来の目的と作業の有効性や実効果の側面です。
3000もあるという予算事項のうち200だの400事項だのと言わないで、すべてについて、再来年度予算に向けて、堂々とした組織体制と人選でたっぷ りと時間をかけて本当に国民のために慎重にやるべきです。そうすれば疑問視されている「財務省」指導説とか聖域説も払拭でき、本当に総点検になります。
必要ならば、段階段階で国民の意見を聞く時間をとってもいいかもしれません。
時間はかかりますが、そのほうが、特別会計や財団・独立・公益法人等の仕組みや天下り・わたりを本当に「総ざらえ」できるし、それらを廃止していった後 の公務員の身分や定数等をも見直す公務員法の改正、国と地方の権限や財源を見直す地方分権関連諸法の改正等も併せて進める上で、大切な検証になり資料とな ります。そうして政策的に脈絡をとりながら、新しい国家体制の仕組みづくりをしていけばよいと思います。
法や手続きなどの民主主義のプロセスより、報道で作られる当面の「国民のムードやイメージ」が優先されることは、結局、国民自身にとって無責任で 危険な国になっていく可能性を感じますし、パフォーマンス的イベントでしっかりとした審議や検証をしないで結論を急ぐことをよしとすることは、長期的・大 局的にも決して望ましい「国民主権」国家にならないと思います。
今、事業仕分けが進行してしまっているので、後の祭りと言えば祭りですが、結果を見つつも、貴ブログがおっしゃるように、無謀なことやおかしいと思うことには、きちんと冷静に反応していきましょう。
長く、とりとめない話で失礼しました。