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「官僚支配」を図解してみました。

 昨日から雨ですね。 

 まだ8月だというのに、朝夕めっきり涼しくなって、夏掛け一枚では眠れないほど。あんなに暑かった夏ももう終わりでしょうか。

 さて、連日、現在の日本が官僚の支配下にあることについて書いていますけど、反応なしなので、きっと私の作文がまずいため、伝わらないのだろうと思います。が、まずい作文でも一生懸命書けば、そのうちには伝えることができるかもと気を取り直して、しつこく今日もまた書くことにしました。

 少々長いですが、ぜひ、読んでくださいね。

 

 それで、明治新政権成立から現在に至るまでの支配構造がどういう風になったのか、順次図解することにしました。この方がわかりやすいかな、と思って。

● 明治新政権成立から国会創設まで

  慶応3年(1867年)徳川幕府第15代将軍・徳川慶喜が、天皇に大政奉還したことを受け、朝廷は王政復古を宣言。これにより討幕派の薩摩藩や長州藩が中心となり明治新政府が成立した。

 明治維新功労者による藩閥政治は政治と行政未分化ではじまった。政治行政を行うところを「廟堂」といった。

 長州閥の伊藤博文山縣有朋などは、ドイツが欧州の小国でありながら大帝国を作りあげたことや、そのドイツの統治の中枢にいるウィルヘルム一世と宰相ビスマルクが議会と政党に対して超然としていることに、我が身を投影し、「あ、いいな、好き放題すればいいんだ」と共感したか、「超然主義」を取り入れることを決定。2回の分裂を経て「廟堂」は、ドイツ流の超然主義となる。

 「廟堂」=藩閥官僚政治「超然主義」の始まりである。

 このときの支配図は、図にすると、下のようになると思うのです。

18902

 「廟堂」にいる藩閥政治が「藩閥官僚」を生んだということです。

 この時の「藩閥官僚」は、国民に対して見かけも実質も完全な支配者ですね。

● 国会創設後から敗戦まで

 次に、議会制民主主義を取り入れなければ、西洋から相手にされないということで、形だけとしながら、明治政府は1890年国会を創設した。

 山縣有朋は、民選議員へ実質的な政権を渡さないよう、枢密院、貴族院を創設、衆議院での決議が成立しないようにしたり、さまざまな権謀の限りをつくし廟堂の「藩閥官僚」に統治させた。その後、門戸を問わず試験に合格した者を採用、高文と呼ばれる「高級官僚」を養成して、統治させた。

 このときの支配構造は、下図のようになると思う。

 

2_2

 尾崎行雄は、、桂太郎首相のとき、

 「常に口を開けば、直ちに忠愛を唱え、あたかも忠君愛国は自分の一手専売のごとくに唱えておりまするが、その為すところを見れば、常に玉座の陰に隠れて、政敵を狙撃するがごとき挙動を取っているのである。彼らは玉座を持って胸壁となし、憲法. 改正と自衛省昇格問題を持って弾丸に変えて政敵を倒さんとするものではないか」

 と、桂太郎を糾弾している。

 なかなか、今に通じる名演説ですね。

 それで、ごくごく簡単にいうと、民選議員たちは国民の代表として政治を行おうとさんざん努力したが、既得権益を握っていて国民支配を手放さない藩閥官僚らの権謀により、ことごとく押し戻されという感じで、実権はとうとう握れないままだった。昭和17年の総選挙では、翼賛政治体制協議会の選挙妨害により「国策」に忠実な議員が多数となり、翼賛政治となり、軍官僚の暴走を許し、戦争への道を驀進する。

 紆余曲折はあったものの、見かけ上いろいろ付属品はあるものの、官僚支配は頑固に守られた。政党は、翼賛政党となってしまった。


● 敗戦後から現在まで

 敗戦により、GHQによる支配がはじまる。貴族院と枢密院は解散させられた。が、GHQは、官僚組織には気づかず、そのまま行政をすることになる。

 GHQは、官僚組織をただの行政組織と思ったのでしょうね。この「官僚」は、もとはと言えば、明治維新前後に「超然主義」で山縣有朋ら長州閥によって育てられたもの。それが、戦後もそのまま生き残って、行政を行うことになってしまった。

 そこで、さらに不運なのは、「政」(というより「民」と言った方がわかりやすいかも)の大物鳩山一郎や石橋湛山が、公職追放になってしまう。

 鳩山一郎は、言うまでもなく鳩山由紀夫や鳩山邦夫の祖父です。 氏は、昭和17年の総選挙で、大政翼賛会に加わらず推薦も受けなかった議員として、当選を果たしている。戦後は、日本自由党を旗揚げし、1946年の衆議院総選挙で1第1党となり、まだ日本国憲法が制定されていない中、イギリス的なルールに従って、鳩山を首相とする連立政権が組まれようとするまさにその時「公職追放」という目にあった。

 鳩山氏の追放により、麻生太郎の祖父である「吉田茂」が、タナボタで政権を得たってわけです。吉田茂は「官」のエースだったこともあり、池田隼人・佐藤栄作といった官僚出身の党員を大量抜擢した。

 あ~あ、って感じでしょう?これで、お仲間政権で「官僚組織」は息を吹き返したって、わけ。鳩山一郎氏が追放にならずに、首相になっていたら?歴史にモシモはないけど、そう考えたくもなるってもの。

 で、「官僚」は、GHQをも煙に巻き、以下のことをして、戦後も「官僚こそが日本における唯一の立法機関」になり、「中央による地方支配」を成し遂げ、今日に至ります。こちらからの再掲ですが、少々省略したところもあります。

法の中に官僚による立法行為の禁止の条項がないのを利用し内閣法の中に官僚による法律の提案権忍び込ませた。

・せっかく提出した苦心の法案も「愚かな代議士」によってボツにされてはかなわない。法案の審議も自分たちでコントロールするため、官僚たちが政府委員として国会の審議にも参加できることを「国会法」に書き込んだ。

・結果として、もともと法律を作るような専門的な仕事に向いていない国会議員たちは、自分たちの存在理由たるべき法案の作成をすべて官僚に任せることになってしまった。
 また、法案の審議も、官僚の作った質問と答えを、議会と政府とがあたかも台本を読み合うがごとく読み合うだけの形式的なものになってしまった。

・地方自治に関しても、「ただし、国の定める法律、あるいはそれに音づく政令に特別の定めのある時はこの限りではない」という一項を付け加えた。「この限り」であるかどうかはいうまでもなく国が定める。これによって地方の自主性は一瞬にして有名無実のものになってしまった。

またアメリカは、税金の配分に関し、地方がまず先にとり、残りを国がとるという考え方であったが、官僚はこれも巧みに換骨奪胎してしまった。つまり、税金の使い道の中には、地方と無関係な、国だけの仕事にかかわるものがある。例えば外交や防衛、そして全国的な規模によるプロジェクト、等である。これだけは国が先にとらせてもらわねば、というのが官僚たちの要求であった。アメリカはこれを呑み、その瞬間官僚は勝った。ある事業が国家的なプロジェクトの一環であるかどうかは、国が判断できることになってしまったからである。地方都市に駅ビル一つ建てるにしても、それが全国的なプランの一環であると国が主張すれば、その計画は国のコントロールのもとに入ってしまう、という現行のシステムは、実にこの時に源を発しているのである。これは明らかに中央による地方支配であり、言い換えれば日本においては、地方は中央の出店にすぎぬのである。

 というわけで、今の日本は、三権分立は見かけだけです。

 実態は、政治と行政、そして地方も官僚の支配下に置かれているのです。

 つい最近、えん罪としか思えない高知の「スクールバスと白バイの事故」事件で、最高裁は上告を棄却し高裁の判決を確定させ、バスの運転手の片岡さんは服役することになりましたが、これなんか見てると、行政の暴走をチェックすることなど司法機関には全くないということがわかるわけで、三権は、全部「官僚」にあるということを示しているのではないでしょうか。ま、司法も「官僚」のお仲間でもありますね。

 というわけで、現在の日本の支配構造は、こんな感じでしょう。↓

2_9

 

 どうしても、「官」→「政」の支配ベクトルを反対向きにしないことには、民意を政治行政に反映させることができません。

 まず、政権交代ですね。そして、頭のいい「官僚」様には、「政」の部門からは完全撤退していただき、すごく能力のある方々ですから、行政に力を発揮していただくことです。そうすれば、議会制民主主義があるべき姿となり、民意に沿った政治行政が行われるようになり、現在起きている問題のほとんどは解決するのではないかと思いますね。

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コメント

明治期の英国の関与も加えるとなお良いですね。

投稿: ろろ | 2008年8月25日 (月) 20時38分

ろろさん、ようこそ!
コメントありがとうございます。

英国の関与というと日露戦争ですかね~。
イギリスにそそのかされて戦争をしたみたいですが、その辺は、あまり詳しく知りません。


投稿: ふじふじ | 2008年8月25日 (月) 22時07分


      私もそのとうりと同感いたします。

投稿: こっぱ役人 | 2009年1月21日 (水) 12時19分

こっぱ役人さん

ご賛同いただきましてありがとうございます。

投稿: ふじふじ | 2009年1月23日 (金) 11時10分

詳しい解説ありがとうございました。

歴史をさかのぼっての解説は非常にためになります。

民意に沿った政治を行ってもらうためにも、官僚様にはそろそろ撤退してもらいたいものです。

投稿: aki | 2009年6月19日 (金) 14時07分

akiさん

コメントありがとうございます。

戊辰戦争の功労者が明治政府を作ったわけですが、その政治的影響力を自分たちが保持するために官僚制度というのはできたと思います。政治家に政治をやらせないように。

政治は、高い学問を修めた官僚が行い、下賎の民衆から出た政治家になど政治を渡さないと、官僚支配は、明治以来、敗戦まで続くわけですが、敗戦後GHQ支配時には、行政を担うだけの役割・公務員にされ、比較的おとなしくしていたものの、自民党政治が続くうちに、失地回復し、いまは、すっかり戦前の官僚支配状態までになったという感じですね。

政治家は、国会にいて官僚が作った法を通すだけの存在になり下がっています。

とても危ない状態となりました。

官僚支配は、もう、終わらせないといけませんよね。

投稿: ふじふじ | 2009年6月20日 (土) 09時08分

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